こんにちは(^o^)
仕事を続ければ必ず感じるのが、疲れです。
「丁寧ではない」
「余裕がなくなっている」
そんな自覚があるとき、どうしますか。
仕事を続けるか、それとも休憩するか。
それを判断する基準は、質が求められる仕事かどうかで決まります。
質が要求されない仕事なら、少し無理をして続けることもできるでしょう。
いわゆる、質より量が重要な仕事です。
仕事が少々雑になっても問題ないと分かっているなら、とにかく前進に専念するのが正解です。
しかし、量より質が重要な場面では、注意が必要です。
疲れた自覚があるなら、区切りのいいところで、素直に休憩するのが得策です。
たとえば、自己PRや志望動機の作成です。
「丁寧ではない」と自覚がある状態で進めると、字が汚くなり、乱暴な印象が相手に伝わるでしょう。
「余裕がなくなっている」と自覚がある状態で進めると、文章にまとまりがなく、手抜きの印象が相手に伝わるでしょう。
いくら仕事が速く進んでも、質が下がっては、意味がないのです。
その仕事が、人生を左右する内容なら、なおさらです。
量より質を重視する場面では、むやみにスピードを追求しないことです。
質が下がっている自覚があるなら、すぐ仕事を中断して、適切な休憩を入れましょう。
質を必要とする仕事については、強引に進めるより、時間がかかってもいいので、質を重視するのが適切です。
自分が取り組もうとしている仕事で重視されているのは、量なのか、質なのか。
そこを判断基準にして、適切な行動を考えましょう。
✨おはようございます✨
「自分はダメ人間だから幸せになれない」
自分の低い存在価値を嘆いていませんか。
平均より大きく劣っていることがあると、思いどおりにいかないことも多いでしょう。
知識が少ないと、世の中のことが分からず、苦労することが多くなります。
能力が低いと、周りに迷惑をかけることも多いでしょう。
物覚えが悪いと、仕事で怒られることも増えるでしょう。
コミュニケーション能力が低いと、スムーズな人付き合いが難しくなります。
障害があると、不便が多くなります。
ダメなところがいくつもあると、劣等感やコンプレックスもひとしお大きくなる。
自分に「ダメ人間」というレッテルを貼りたくなるかもしれません。
しかし、ダメ人間だからといって、幸せになれないと決まったわけではありません。
できないことが多いだけのこと。
平均より劣っていることがあるだけのこと。
ダメ人間とはいえ、重大な罪を犯したわけではないはずです。
なぜ、ダメ人間と感じてしまうのか。
それは「人と比べること」にあります。
そもそも人と比べるのがよくありません。
人と比べると、どうしても自分の悪いところが目立って見えるようになります。
「ダメ人間」というレッテルは、他人と比べることで生まれる思い込みにすぎません。
ネガティブなレッテルを自分に貼ったところで、ますます卑屈になるだけで、何の役にも立ちません。
人と比べるのはやめましょう。
人は人であり、自分は自分です。
人の数だけ個性も特徴も存在するため、幸せの道も人それぞれです。
幸せになるために何が必要なのか。
幸せになるために必要なのは「自分らしい生き方」です。
自分の個性と魅力を発揮して、自分らしく輝いて生きることが、幸せにつながる道です。
他人と能力争いをしても、ストレスとやっかみが増えるだけ。
誰かと比較するのではなく、自分らしく生きられればいいだけです。
できないことはできる人に任せましょう。
何でもできる万能人間を目指す必要はありません。
自分にできないことではなく、できることを考えましょう。
劣っているところがあるなら、秀でているところもあるはずです。
不得意を直すより、得意を伸ばしましょう。
不得意は放置して、得意に集中したほうが、効率よく才能を伸ばせます。
コミュニケーション能力が低いなら、コミュニケーションを必要としない仕事をすればいい。
世の中には、オフラインの仕事だけでなく、オンラインの仕事もあります。
話すのが苦手なら書けばいい。
人に会わなくていい仕事もたくさんあります。
知恵を振り絞れば、回避策や代替策はあるはずです。
障害があるから、不幸が決まったわけではありません。
障害は、恨むのではなく、生かしましょう。
障害があって、不便は多いかもしれませんが、不便なりにできることがあるでしょう。
不便なりの生き方もあるはずです。
障害を生かした生き方をすれば「健常者にはできない何か」を達成できるはずです。
ダメ人間だからといって、幸せになれないと決まったわけではありません。
ダメ人間でも、人生を華やかにできます。
ダメ人間でも、幸せになれるのです。
こんばんは(^o^)
人生で最悪なのは「すべて相手のせいだ」と言ってしまうことです。
「すべて相手のせいだ」と言ったら、終わりです。
すべてを相手のせいにすると、反省する機会がありません。
人を批判する考えばかりになるため、不愉快な気持ちになります。
人をけなす話術や考え方ばかりに磨きがかかり、性格も悪くなります。
たしかにすべて相手のせいだと思うこともあるでしょう。
自分は何も悪くないにもかかわらず、一方的に被害を受ければ、100パーセント、相手のせいにしたくなります。
しかし、1パーセントでも「自分にも過ちがあるのではないか」と思うことが大切です。
気をつけていれば、未然に防ぐことができたこともあります。
たとえば、駐車場にとめていた車を、別の車にぶつけられたとします。
普通に考えれば「自分はまったく悪くない。相手が100パーセント悪い」と考えてしまいがちです。
そこで、1パーセントでもいいですから「自分も悪いのではないか」と考えてみるのです。
ぶつけられやすい場所に駐車していたせいかもしれません。
自分の駐車の仕方が悪かったせいかもしれません。
そもそも駐車する必要すら、なかったかもしれません。
1パーセントでも「自分にも過ちがあるのではないか」と考える余裕を、持てるかどうかです。
それが考えられれば、次から駐車の仕方は変わります。
これからの人生が、いい方向へと、変わるのです。
こんばんは(^o^)
97歳で、大学を卒業した男性がいます。
学位は、4つも持っているそうです。
若い人でも、簡単にはできません。
「卒業後は何をしたいですか」と聞かれると「ガーデニングをやりたい」と言っていました。
ガーデニングをやりたいと言いながら、ガーデニングの勉強も、本格的に始めることでしょう。
専門書を片手にガーデニングを楽しんでいる光景が、目に浮かびました。
夢があっていいです。
新しいことを覚えると、楽しみは、もっと楽しくなります。
年を取ると、記憶力が衰えると言いますが、ジョークです。
本人しだいです。
本人に勉強する意欲があれば、年を取っても、新しいことを覚えられます。
「覚えたい」「覚えよう」という気持ちがあれば、いくつになっても覚えられます。
どんなにお年寄りでも、孫の話は、よく覚えているものです。
「世の中には、すごい人がいるものだ」と驚いて、終わりにするのではありません。
「人はやればできるんだ。負けていられない」という気持ちに転換しましょう。
特に脳は、体の中で最も老化が遅い部分です。
次はあなたが、新記録を打ち立てる出番です。
前例がなければ、自分が前例を作ればいいのです。
こんにちは(^o^)
「死にそう」という口癖に心当たりはありませんか。
もちろん本当に命を落としそうな状況なら別です。
重大なけがや病気になって、今にも命が途絶えそうなら「死にそう」と言うのも分かります。
致命的な状況なら、一刻も早く助けを求めたほうがいい。
また、長時間労働で心身が疲弊しているとき「死にそう」と訴えることもあるでしょう。
重大な事態のときなら、正直に「死にそう」と言ったほうがいい。
限界に達していることをしっかり表現できます。
最悪な状況であることを伝えることで、きちんと助けを呼べます。
しかし、重大なけがでも病気でもないにもかかわらず、口癖で安易に発言しているなら注意が必要です。
ときどき「死にそう」が口癖の人がいます。
「宿題が多すぎて死にそう」
「仕事が面倒で死にそう」
「毎日つまらなくて死にそう」
「あの人が嫌いで死にそう」
「嫌なことがありすぎて、死にそう」
こうした口癖の大半は「死にそう=とてもつらい」という意味で使われています。
「死」は、人にとって最悪の状況です。
死ぬ以上につらいことはありません。
死ぬと、完全に人生が終わります。
自分の惨状を分かりやすく伝えようと、わざと強い言葉を使っていることもあるでしょう。
死を連想させる言葉を伝えば、いかに自分が大変で苦しいのか、しっかり伝わるように思えます。
本人は軽い気持ちで使っているのかもしれませんが、注意したい口癖です。
「死にそう」という口癖があると、ますます死にそうになります。
自分の声を一番聞いているのは、自分です。
「死にそう、死にそう」と言うたびに、自分に対して「死ね、死ね」と言っていることになります。
つらい気持ちが増幅され、ますますむかむかしてきます。
心の自然治癒力を妨げ、心がどんどん不安定になります。
ネガティブ思考がますますエスカレートします。
「死にそう」という口癖があると、ますます死にそうになるのです。
人生によい影響を与える言葉ではありません。
「死にそう」と言うくらいなら、普通に「大変」「つらい」「厳しい」と言ったほうが、まだ丁寧です。
もしくは「まだまだこれから」「もう少し頑張る」といった前向きな言葉を言うのもいいでしょう。
「死にそう」という口癖は、百害あって一利無し。
たとえ口癖であれ、自分の首を絞めるだけです。
「死にそう」という口癖は、マイナスに働くことはあっても、プラスに働くことはありません。
軽い気持ちで「死にそう」と言わないことです。
心当たりがある人は、できるだけ早めに直しておくのが賢明です。
🌟前向きに🌟
薄暗い夕暮れ時、犬と一緒に散歩していると、ときどき光り輝く犬の目を目撃することはありませんか。
きらりと目が光り、目の中に電球があるようです。
初めて見るとぞっとします。
いつもは優しい表情の犬が、夜に近づくにつれ、悪魔の使いにでも変身したかのように見えます。
心配ご無用です。
決して、犬が悪魔の使いに変身したわけではありません。
犬の目が光るのは、実は特殊な目の作りになっているからです。
そもそも犬は「視力が悪くても暗闇には強い」という特徴があります。
猫も同じです。
犬も猫も、祖先はもともとは夜行性だったためです。
そのため、光の小さな暗闇でも見えるように、目の作りが少し特殊になっています。
分かりやすくいえば、反射鏡です。
目の奥に「タペタム(輝膜)」という反射鏡の役割を持つ膜があります。
この光を反射する膜があるおかげで、目の水晶体の中で小さな光が大きな光へと増幅され、暗闇でも見えるようになっています。
このとき、たまたま人と犬との目が合うと、犬の目が光っているように見えるだけです。
夜中に犬と散歩をすると、暗くて危ないと懸念する飼い主もいますが、心配するほどではないようです。
たとえ夜でも、わずかな月の光さえあれば、十分見えているはずです。
犬と夜中に散歩しても、きちんと道がよく見えていますし、ぶつからずに歩くはずです。
むしろ人間のほうが、うっかり電柱に頭をぶつけるということもしばしば。
夜は、犬の得意な世界なのです。
おはようございます(^o^)
「かもしれない」
「よく分からない」
「どちらかといえば」
こうした表現を使う人を、ときどき見かけます。
はっきりしない態度は、どこかで「責任回避」が感じられます。
表現をぼかして、自分のところに責任がこないように分かりにくいように逃げています。
この「逃げ」が感じられる表現があると、男らしさに欠けてしまいます。
男らしさとは、責任を背負うことです。
逃げない態度が大切です。
自分の発言に責任を持って、きちんと最後まではっきり言い切ることで、シャープな印象を与えることができます。
私は学生時代、小論文の先生から「絶対に曖昧な表現を使うな」と厳しく指導されたことがあります。
「曖昧な表現を使うと、小論文は必ず失敗する」
言い切れと指導する先生は、このように言い切りました。
このはっきりした指導をしてくれたおかげで、指導を受けた私も意図がしっかり伝わりました。
このように指導をする先生からも、強さがみなぎっていたことを覚えています。
はっきり言い切る姿勢が分かりやすい説明になり、多くの生徒から人気を集めていたのでした。
この金言は、あれから数十年経った今でも私の生活の中で役立っています。
言い切る表現で、聞く人の心に突き刺さり、覚えやすく忘れにくくなります。
曖昧ない表現は、男らしくありません。
男らしくなるためには、はっきり言いすぎるくらいでいい。
自分の言いたいことをはっきりすることで、その人の哲学や考え方など「芯」が感じられます。
男らしさは、はっきりした発言に現れるのです。