おはようございます✨
明るい場所から暗い場所に突然移動すると、真っ暗で何も見えなくなります。
「これでは何もできない。つまずいて転びそう」
どうしようもなく、何も行動できなくなります。
たしかにしばらくは完全な闇に思えます。
ところがしばらく経つと、面白い出来事が起こります。
だんだん目が暗闇に慣れてきて、真っ暗と思えた暗闇の中に、かすかな光を発見するのです。
一度目が慣れると、数多くの光があることに気づくでしょう。
暗闇に目が慣れたとき、月の光がまぶしく感じる状態と同じです。
あなたの人生も同じです。
「未来は真っ暗。どうしようもない」
「絶望的な状況。どう生きていけばいいか分からない」
真っ暗に思える未来かもしれませんが、今はまだそう見えるだけです。
もうしばらく待ってみましょう。
だんだん目が慣れてきます。
すると、真っ暗と思えた未来にも、かすかな光があることに気づくでしょう。
絶望の状況では「未来が真っ暗」という悲観の声をよく聞きますが、実際のところ、完全に真っ暗な状況はあり得ません。
そもそも生きていることが、すでに1つの光だからです。
命という光があるなら、光は確実に1つは存在するので、完全な闇にはなりえません。
まだほかにも光があるでしょう。
自分が持っている、わずかな恵みに気づくことです。
そのかすかな光を大切にしましょう。
目が慣れると、かすかな光さえ、まぶしく感じるはずです。
こんばんは🌙
どうも日本人には変な我慢癖があり、嫌なことや嫌いなことでも我慢をすることが美徳であるという考え方が根強くあります。
そのため我慢を避けることが、人間として失格であるように見られる風潮があるのです。
しかし、そんなことをしている人に限って、表情が暗く、元気がなく、いつもため息をついているのです。
自分から嫌なことや嫌いなことを我慢してまでやり続けている自分に原因があるのです。
元気がない原因は、元の気ではないからです。
しかし、そんな元の気からわざとそれさせてしまうようなことをし続けているのは、自分なのです。
嫌なことでも我慢する癖があるために、自分にとって有害なことに気づいても、やめられない止まらない状態になっているのです。
「我慢はすれば、いつか直る」という考えもあるようですが、誤解です。
我慢はすればするほど、苦手意識が強くなるため、もっと嫌いになります。
さらに嫌いになれば、元気をなくさせる存在になります。
私は昔からグリーンピースが大嫌いでした。
幼稚園のころからずっとグリーンピースを見るたびに元気がなくなり、口にした日には吐き気がするくらい嫌いでした。
グリーンピースだけを残した私を見た先生が、無理やり食べさせようとしたために、私はグリーンピースが嫌いになっていきました。
我慢をさせてまで食べさせていると、そのうち好きになって食べるようになるだろうとおかしな勘違いをしている先生でした。
まだお尻が青かった私は「我慢をすれば、本当に好きになって食べられるようになるかもしれない」と信じていたのです。
そのため当時の私は我慢をして、グリーンピースを食べた(食べさせられた)記憶ばかりがあります。
給食でグリーンピースを使った献立が出るたびに、表情が暗くなり、元気もなくなり、いつもため息をついてしまっていました。
それでも「我慢して」、グリーンピースを何とか口に入れていました。
小学校6年間無理やり食べ、中学校でも3年間無理やり食べるという経験をしました。
結果としてグリーンピースを好んで食べるようになることは一度もありませんでした。
むしろ我慢の回数を重ねるごとに、傷口にさらに傷を負わせるかのように悪化していき、余計に嫌いになってしまったのです。
成人になった今でさえも、大嫌いな食べ物の1つです。
我慢をすれば、いつか直ってよくなるという当時の考えは、まったく当てはまっていません。
結果だけを見れば、嫌な思い出と余計にグリーンピースが嫌いになってしまったという嫌悪感だけが残っているのです。
「我慢をしなさい」
こう言われることのほとんどは、単なるきれい事で実はまったく意味がありません。
我慢をしすぎると、いつか精神が崩壊します。
どうも大人たちは嫌いなことや嫌なことを我慢してまでやっていると、精神的に大人になれると勘違いをしている人が多いようです。
我慢をすることが人として成長を促し、大人になると、とんだ勘違いをしてしまっているのです。
自然に
何かお手伝いすることはありませんか」
忙しいとき、そんな一言を言ってもらえると嬉しいですね。
忙しそうな人がいたとき、「何かお手伝いすることはありませんか」と声をかけることがあるでしょう。
気の利いた一言を言えば、気遣いや積極性をアピールできそうな気がします。
もちろん悪いことではありません。
積極的に手伝いを申し出ているのですから、むしろ素晴らしい気遣いです。
人間関係では、自発的な協力が大切です。
相手は「助かる」「ありがとう」と、親切な配慮を喜んでくれるでしょう。
「何かお手伝いすることはありませんか」というセリフは、気が利く人らしい一言のように思えます。
しかし、ここに誤解があります。
本当に気が利く人は「何かお手伝いすることはありませんか」と聞きません。
相手にわざわざ仕事を尋ねるのは、まだ本当に気が利いているとは言えません。
気遣いの1つではありますが、本当に気が利く人なら、もう一歩進んだ行動をします。
「○○をしておきますね」と言うやいなや、さっと手伝うのです。
わざわざ相手に質問しません。
相手の様子や状況から必要な仕事を察して、自発的に手伝うのです。
求めている仕事を先回りできれば、相手は驚き、感動するに違いありません。
ベストタイミングで、ベストな配慮をするその様子は、かっこよく写るでしょう。
正確に相手の心情を把握しなければいけないため、難しいことではありますが、だからこそ取り組む価値があります。
気遣いの達人になりましょう。
人には「観察力」「想像力」「思考力」という素晴らしい能力があります。
相手の様子を観察しながら、相手の立場を想像して、思考します。
すると「こうしてほしいのではないか」「こうすれば喜んでくれるだろう」という配慮が見えてくるでしょう。
相手が心で求めている行動を読み取って、先に取り組みましょう。
相手の喜ぶ笑顔を想像すると、楽しみながら取り組めます。
これこそ本当の意味で「気が利く」ということです。
おはようございます☀️
楽しいことをしなくても、
楽しいことを考えているだけで、
次第に明るい気分になる。

なによりテンションを上げるための一番のポイントは「楽しいことだけを考える」ということです。
楽しいことだけを考えて、自分がうきうき楽しんでいるところを想像すると、それだけで元気になります。
それに対していつもテンションが低い人は、つまらないことや面白くないことを中心に考えています。
「どうせできないに決まっている」
「面倒だな」
「面白くないだろうな」
このように、つまらないことを中心に考えているため、気分も下がります。
やってもつまらないことを考えても、仕方ありません。
余計に気分が悪くなり、余計に元気がなくなります。
元気の正体とは、気分です。
好きなことをすれば、気分も明るくなるでしょう。
しかし、いつでも楽しいことができる状況とは限りません。
そういうときは、考えるだけでいいのです。
楽しいことを考えるだけでも、元気になります。
気分を高めるのは、まず楽しいことのイメージから始めるのです。
「これがあるから、生活が楽しい」ということを、想像しましょう。
できるだけ色鮮やかに、はっきり想像することがポイントです。
楽しいことをしなくても、楽しいことを考えているだけで、次第に明るい気分になります。
素晴らしい想像の力です。
楽しいことを考えて、自分の中のテンションを上げるようにしましょう。
おはようございます(^o^)
子供が花瓶を落として割った。
それに対して親が怒る。
こんなとき、親であるあなたなら、どんな言葉を口にしますか。
「こら。何をしているの!」
「その花瓶は高いのにどうしてくれるの!」
高価な花瓶を子供に壊されると、やはりそういう言葉が出てしまいます。
いえいえ、違います。
大切な一言が抜けています。
「大丈夫?」という子供を心配する言葉です。
値段の高い花瓶を割られると、親の注意は子供より、花瓶に目を向けがちです。
花瓶を割って叱られると、子供は「自分より花瓶のほうが大切なんだ」と思います。
花瓶より存在価値が下と感じることほど、大きなショックはありません。
親の注意が、子供より花瓶に向いているからです。
子供はトラブルのときこそ、心のどこかで「心配されたい」と思っています。
花瓶が割れたら、親はいきなり叱るのではない。
それより、けがをしていないか気にすることが大切です。
子供のことを本当に大切に思っているなら、当たり前にできるはずです。
花瓶はまた買えば済む話ですが、子供が大けがをしたら、一生の傷が残るかもしれません。
もし叱るなら、けがをしていないことを確認してからの話です。
まずかけるべき言葉は「大丈夫? けがはない?」という案ずる言葉なのです。
マイナス発言は危険‼️
幸せになるために必要なのは、知識ではありません。
たしかに知識は、世の中を生きるために役立ちます。
国語が分かれば、読み書きがスムーズにできます。
歴史が分かれば、未来が予想できます。
英語を話すことができれば、友達の幅が広がります。
知識をインプットすることで、世の中の仕組みやルールが分かり、快適に暮らしやすくなるでしょう。
しかし、知識のインプットに偏りすぎているのではないでしょうか。
知識は大切ですが、必須ではありません。
知識がなければ、知っている人に聞けばいいだけです。
知識も大切ですが、それ以上に、大切なことがあります。
ポジティブ思考です。
ポジティブ思考は、人生の土台です。
知識はなくても生きていけますが、ポジティブ思考は、ないと生きていけません。
人生に悲観して、生きる気力を失います。
学校では、たくさんの知識を学びますが、ポジティブ思考は詳しく教えてくれません。
そのため、ポジティブ思考を知らない人が多いです。
私たちは、ポジティブ思考という勉強が、ぽっかり抜けている状態です。
たくさんのことを知っているのに、元気のない人が、大勢います。
私たちに足りないのは、知識より、ポジティブ思考です。
何事も、明るく考える力です。
日常に点在する幸せに、気づく見方です。
前向きな考え方があるからこそ、気力や力が、みなぎってきます。
幸せに、頭の善しあしは関係ありません。
幸せに必要なのは、ポジティブ思考なのです。