白石則雄のブログ

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アウトプット

肉体労働の仕事をしている人は、食事をしてもすぐおなかがすきます。

体全身を動かす仕事をしているからです。

カロリー消費が早く、食事をしても数時間後には、おなかがすくでしょう。

逆に、デスクワークが中心の人は、運動量の少ないため、おなかがすくまでに時間がかかります。

体を動かす仕事ではないので、カロリーの消費量も比較的緩やかです。

ある程度時間が経てば自然とおなかがすきますが、肉体労働の人と比べて、おなかがすき始めるまでの時間は長いはずです。

「なかなか勉強する気になれない」という人がいます。

勉強する気になれないのは、積極的にアウトプットをしていないからです。

積極的に体を動かしていれば自然とおなかがすくように、勉強も積極的にアウトプットしていれば、自然と勉強がしたくなります。

知識欲は、生理的欲求です。

勉強も、アウトプットをたくさん吐き出して出せば出すほど、頭の空いた領域を埋めたがり、また勉強がしたくなります。

腹が減ればおなかが鳴りますが、脳が暇になると「勉強したい」と思い始めます。

私は文章を書くというアウトプットを、23歳から始めました。

文章を書いていて気づいたのですが、書き始めてからのほうが、さらに勉強好きになったということです。

書く前から勉強は好きでしたが、書くというアウトプットが習慣になると、勉強好きの度合いが強くなり、読書量も増えました。

体を動かしておなかがすけば、もっと食事を取りたくなるように、知識のアウトプットもすれば、もっと勉強をしたくなります。

「おなかがすけば食事がしたい」というのは、生理的欲求です。

「頭が空いたからもっと勉強がしたい」というのも、生理的欲求です。

知識欲は、本来誰もが持っている生理的欲求の1つです。

ただアウトプットという運動をして、知識を積極的に吐き出していないために、頭が空きにくくなっています。

運動をすればすぐおなかがすくように、アウトプットをすればすぐ勉強がしたくなります。

吐き出せば、もっと勉強がしたくなるのです。

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おはようございます

ある日、試験で問題を間違えました。

「情けない。自分は頭が悪い」

がっかりしてしまいますが、ちょっと待ってください。

間違えない人はいません。

大切なのは、間違えた後、どうするか。

現実をありのまま受け止めるのもいいですが、もう一歩踏み込んだ考え方をしませんか。

別の見方をすれば、間違えたのは「素晴らしい発見」と言えます。

自分の弱いところを見つけることができたからです。

膨大な範囲の中から自分の弱みを見つけられたのは、宝物を発見したようなものです。

おかげで、これからの勉強の方針を立てることができます。

正解できたところより、間違ったところのほうが重要です。

間違えたところを集中して勉強すれば、弱みを補強でき、次からは正解できるでしょう。

間違ったところを放置せず、今後の勉強にきちんと生かすことができれば、成績が上がるのは間近です。

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テンション✨

テンションが低い人は、いつものろのろしています。

「テンションが低いなら、のろのろして当たり前」と思いますが、ここに誤解があります。

テンションが低いから、のろのろしているのではありません。

のろのろしているから、テンションも低いのです。

テンションとスピードは相関関係があり、連動しています。

テンションは、スピードによって生み出すもの。

テンションが高いから、スピードが出るのではありません。

スピードを出すから、テンションも高くなります。

慎重になる必要があって意図的にスローを心がけているならいいですが、むやみに遅い状態は、心を怠けさせます。

のろのろしていては、上がるテンションも上がりません。

心に火がつかないから、ますますのろのろする悪循環です。

テンションが高い人は、いつもきびきびしています。

歩くときには、早歩き。

話すときも、やや早口。

予定変更をするなら、前倒し。

仕事をするときも、速さを意識しながら対処します。

いつもスピードを意識して、きびきびした行動を心がけています。

すると、だんだん心が熱くなり始め、わくわくした気持ちも出てきます。

気づけば、テンションも高くなっているのです。

テンションを上げたければ、とにかくスピードを意識するのがシンプルな方法です。

スピードを意識して行動しているうちに、心に火がついて、テンションも高くなります。

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常にプラス✨

最近、褒められたことはありますか。

もし自分が褒められれば、親に報告をしましょう。

「今日、人から褒められたよ」という話題だけでいいのです。

なぜ親に報告をするのでしょうか。

自分が褒められれば、自分を生んだ親も褒められたことになるからです。

親からの教育がよかったおかげで、立派に成長ができました。

自分に誇りを持てると同時に、親にも誇りを持てます。

褒められるたびに、親に報告すれば、話をするきっかけになります。

親は「立派に育ってよかったなあ」と思い、弾みがつきます。

それが、親が長生きする一番の薬になります。

親との関係も、よくなるのです。

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お昼です☀️

自分の人生で、本音で話せる人は何人いますか。

あくまで「本音」です。

思ったことを何でも話せる人。

普通の雑談から恥ずかしい悩みまで、あらゆることをすべてさらけ出して話せる人です。

家族でも、親友でも、パートナーでもかまいません。

知人や友達は多くても、本音で話せる関係となると「1人もいない」という人が大半になるのではないでしょうか。

いくら家族でも、すべてをさらけ出すのは難しいはずです。

仲のいい友達でも、やはり今後の関係を考えると、話せないこともあるでしょう。

もし本音で話せる人が1人でもいれば、あなたは幸せです。

その1人を大切にしましょう。

お金には換えられない財産です。

本当の財産とは、お金ではありません。

本音で話せる人こそ、本当の財産です。

自分の悩みを何でも話せる人は、見方を変えれば、神様のような存在といっても過言ではありません。

地味かもしれませんが、その人はあなたの心の支えになります。

お金には換えられない貴重な存在なのです。

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おはようございます(^o^)

人生には「終わり」と呼ばれる節目があります。

部活や塾を辞めるとき、学校を卒業するとき、会社を退職するとき、離婚するときなどです。

終わりであると分かれば、暗い感じがします。

それ以上、続きがないような気がします。

 

しかし、終わりと考えるから、終わりになるのです。

人生に、終わりはありません。

実は、人生におけるすべての「終わり」は「始まり」と言い換えることができます。

 

たとえば、部活や塾を辞めるのは、終わりではなく、始まりです。

辞めることで、新しい道を歩むことができるようになります。

自分が下した判断ですから、きっとよりよい流れになるでしょう。

卒業も、終わりではなく、新生活の始まりです。

人生の大きな区切りを超えることで、新しい生活が始まることでしょう。

会社を退職するときや離婚するときも、第2の人生の始まりと考えることができます。

今までとは違った風景が広がり、新たな人生の幕開けです。

始まりであると考えることで、過去を踏み台にして、ステップアップのイメージを作れます。

あらゆる出口は、入り口でもあります。

今、直面している終わりは、何ですか。

終わりは、始まりと言い換えると、きっともっと明るくなれます。
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夜ですね

「手に入れること」と「気づき」は、まったく異なるように思えますが、本質は同じです。

どちらも、本人の元気につながることだからです。

手に入れることで、元気になる

すでに存在している幸せに気づいて、元気になる

結果としては、どちらも同じ元気につながります。

 

しかし、私たちは物質的な欲求に偏っているようです。

手に入れて、初めて元気になり、幸せになれると思っています。

 

しかし、この方法で生きていくことは、時間とお金がかかります。

「新しいものを手に入れること」は、物質的な制限の問題もあります。

机を手に入れ、家具を手に入れ、人形を手に入れ、喜んで元気になります。

次から次へとたくさん手に入れていくと、ついには部屋が物でいっぱいになります。

自分の部屋は、寝る場所さえなくなってしまうでしょう。

食事をして元気になるということもあります。

だからとはいえ、たくさん食べればいいわけではありません。

食べすぎると太ってしまい、逆に病気になります。

得ると幸せになれる方法では、狭くなったり、重くなったり、病になったりします。

そのうえ、物質的欲求を満たす方法は、限界があります。

 

しかし「気づくこと」に関しては、どれだけたくさん気づいても邪魔にはなりません。

どれだけたくさん気づいても重くならず、邪魔にならず、病になるということもありません。

「私には健康がある」

「友達がいる」

「携帯もあるし、机もある」

「そして命がある」

得ることで幸せを感じようとするのではなく、すでにある幸せに「気づくこと」によって元気になるのです。

落ち込まない人は、すでにある幸せを振り返る習慣があります。

「あれも欲しい、これも欲しい」という考えではなく「私はすでに幸せに囲まれている」という気づきによって幸せになっています。

すでにあるのですから、特別なことがなくても、日頃から元気なのです。

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