おはようございます(^o^)
人生には「終わり」と呼ばれる節目があります。
部活や塾を辞めるとき、学校を卒業するとき、会社を退職するとき、離婚するときなどです。
終わりであると分かれば、暗い感じがします。
それ以上、続きがないような気がします。
しかし、終わりと考えるから、終わりになるのです。
人生に、終わりはありません。
実は、人生におけるすべての「終わり」は「始まり」と言い換えることができます。
たとえば、部活や塾を辞めるのは、終わりではなく、始まりです。
辞めることで、新しい道を歩むことができるようになります。
自分が下した判断ですから、きっとよりよい流れになるでしょう。
卒業も、終わりではなく、新生活の始まりです。
人生の大きな区切りを超えることで、新しい生活が始まることでしょう。
会社を退職するときや離婚するときも、第2の人生の始まりと考えることができます。
今までとは違った風景が広がり、新たな人生の幕開けです。
始まりであると考えることで、過去を踏み台にして、ステップアップのイメージを作れます。
あらゆる出口は、入り口でもあります。
今、直面している終わりは、何ですか。
終わりは、始まりと言い換えると、きっともっと明るくなれます。
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夜ですね
「手に入れること」と「気づき」は、まったく異なるように思えますが、本質は同じです。
どちらも、本人の元気につながることだからです。
手に入れることで、元気になる
すでに存在している幸せに気づいて、元気になる
結果としては、どちらも同じ元気につながります。
しかし、私たちは物質的な欲求に偏っているようです。
手に入れて、初めて元気になり、幸せになれると思っています。
しかし、この方法で生きていくことは、時間とお金がかかります。
「新しいものを手に入れること」は、物質的な制限の問題もあります。
机を手に入れ、家具を手に入れ、人形を手に入れ、喜んで元気になります。
次から次へとたくさん手に入れていくと、ついには部屋が物でいっぱいになります。
自分の部屋は、寝る場所さえなくなってしまうでしょう。
食事をして元気になるということもあります。
だからとはいえ、たくさん食べればいいわけではありません。
食べすぎると太ってしまい、逆に病気になります。
得ると幸せになれる方法では、狭くなったり、重くなったり、病になったりします。
そのうえ、物質的欲求を満たす方法は、限界があります。
しかし「気づくこと」に関しては、どれだけたくさん気づいても邪魔にはなりません。
どれだけたくさん気づいても重くならず、邪魔にならず、病になるということもありません。
「私には健康がある」
「友達がいる」
「携帯もあるし、机もある」
「そして命がある」
得ることで幸せを感じようとするのではなく、すでにある幸せに「気づくこと」によって元気になるのです。
落ち込まない人は、すでにある幸せを振り返る習慣があります。
「あれも欲しい、これも欲しい」という考えではなく「私はすでに幸せに囲まれている」という気づきによって幸せになっています。
すでにあるのですから、特別なことがなくても、日頃から元気なのです。
おはようございます🤣
明るい人の頭の中は、いつも考えの巡りがよくなっています。
たくさんのことをあれこれ考えていても、頭の巡りがよくなっていますから、ヒューズが飛ぶようなことはありません。
これは、人の体に例えることができます。
人の血液中に不純物がないきれいな状態だと、それだけで血の巡りがよくなります。
そうすると、健康にもよい影響を及ぼし、体調がよくなるという状態になります。
明るい人もこれと同じです。
明るい人は、血液の巡りがよいように、考え方の巡りもよくなっています。
考えが行き詰まったり、腐敗物がたまっていたりということはなく、考えることがきれいに整理整頓されているのです。
体を健康にするには、血をきれいにすればいいです。
同じ話で、考え方をきれいにするには、頭の中を整理整頓すればいいのです。
今、何をするべきか。
何をしたいのか。
なぜするのか。
これらをしっかり把握することです。
頭の中をきれいに整理整頓するのです。
無駄な動きはなくなります。
目的がはっきりしていれば、思いきり直進することができるようになります。
明るくなりたければ、あなたは自分の考えていることを整理整頓しましょう。
整理整頓ができれば、次に何をするのかがはっきりし、ぼうっとするようなことはないのです。
こんにちは(^o^)
仕事を続ければ必ず感じるのが、疲れです。
「丁寧ではない」
「余裕がなくなっている」
そんな自覚があるとき、どうしますか。
仕事を続けるか、それとも休憩するか。
それを判断する基準は、質が求められる仕事かどうかで決まります。
質が要求されない仕事なら、少し無理をして続けることもできるでしょう。
いわゆる、質より量が重要な仕事です。
仕事が少々雑になっても問題ないと分かっているなら、とにかく前進に専念するのが正解です。
しかし、量より質が重要な場面では、注意が必要です。
疲れた自覚があるなら、区切りのいいところで、素直に休憩するのが得策です。
たとえば、自己PRや志望動機の作成です。
「丁寧ではない」と自覚がある状態で進めると、字が汚くなり、乱暴な印象が相手に伝わるでしょう。
「余裕がなくなっている」と自覚がある状態で進めると、文章にまとまりがなく、手抜きの印象が相手に伝わるでしょう。
いくら仕事が速く進んでも、質が下がっては、意味がないのです。
その仕事が、人生を左右する内容なら、なおさらです。
量より質を重視する場面では、むやみにスピードを追求しないことです。
質が下がっている自覚があるなら、すぐ仕事を中断して、適切な休憩を入れましょう。
質を必要とする仕事については、強引に進めるより、時間がかかってもいいので、質を重視するのが適切です。
自分が取り組もうとしている仕事で重視されているのは、量なのか、質なのか。
そこを判断基準にして、適切な行動を考えましょう。
✨おはようございます✨
「自分はダメ人間だから幸せになれない」
自分の低い存在価値を嘆いていませんか。
平均より大きく劣っていることがあると、思いどおりにいかないことも多いでしょう。
知識が少ないと、世の中のことが分からず、苦労することが多くなります。
能力が低いと、周りに迷惑をかけることも多いでしょう。
物覚えが悪いと、仕事で怒られることも増えるでしょう。
コミュニケーション能力が低いと、スムーズな人付き合いが難しくなります。
障害があると、不便が多くなります。
ダメなところがいくつもあると、劣等感やコンプレックスもひとしお大きくなる。
自分に「ダメ人間」というレッテルを貼りたくなるかもしれません。
しかし、ダメ人間だからといって、幸せになれないと決まったわけではありません。
できないことが多いだけのこと。
平均より劣っていることがあるだけのこと。
ダメ人間とはいえ、重大な罪を犯したわけではないはずです。
なぜ、ダメ人間と感じてしまうのか。
それは「人と比べること」にあります。
そもそも人と比べるのがよくありません。
人と比べると、どうしても自分の悪いところが目立って見えるようになります。
「ダメ人間」というレッテルは、他人と比べることで生まれる思い込みにすぎません。
ネガティブなレッテルを自分に貼ったところで、ますます卑屈になるだけで、何の役にも立ちません。
人と比べるのはやめましょう。
人は人であり、自分は自分です。
人の数だけ個性も特徴も存在するため、幸せの道も人それぞれです。
幸せになるために何が必要なのか。
幸せになるために必要なのは「自分らしい生き方」です。
自分の個性と魅力を発揮して、自分らしく輝いて生きることが、幸せにつながる道です。
他人と能力争いをしても、ストレスとやっかみが増えるだけ。
誰かと比較するのではなく、自分らしく生きられればいいだけです。
できないことはできる人に任せましょう。
何でもできる万能人間を目指す必要はありません。
自分にできないことではなく、できることを考えましょう。
劣っているところがあるなら、秀でているところもあるはずです。
不得意を直すより、得意を伸ばしましょう。
不得意は放置して、得意に集中したほうが、効率よく才能を伸ばせます。
コミュニケーション能力が低いなら、コミュニケーションを必要としない仕事をすればいい。
世の中には、オフラインの仕事だけでなく、オンラインの仕事もあります。
話すのが苦手なら書けばいい。
人に会わなくていい仕事もたくさんあります。
知恵を振り絞れば、回避策や代替策はあるはずです。
障害があるから、不幸が決まったわけではありません。
障害は、恨むのではなく、生かしましょう。
障害があって、不便は多いかもしれませんが、不便なりにできることがあるでしょう。
不便なりの生き方もあるはずです。
障害を生かした生き方をすれば「健常者にはできない何か」を達成できるはずです。
ダメ人間だからといって、幸せになれないと決まったわけではありません。
ダメ人間でも、人生を華やかにできます。
ダメ人間でも、幸せになれるのです。
こんばんは(^o^)
人生で最悪なのは「すべて相手のせいだ」と言ってしまうことです。
「すべて相手のせいだ」と言ったら、終わりです。
すべてを相手のせいにすると、反省する機会がありません。
人を批判する考えばかりになるため、不愉快な気持ちになります。
人をけなす話術や考え方ばかりに磨きがかかり、性格も悪くなります。
たしかにすべて相手のせいだと思うこともあるでしょう。
自分は何も悪くないにもかかわらず、一方的に被害を受ければ、100パーセント、相手のせいにしたくなります。
しかし、1パーセントでも「自分にも過ちがあるのではないか」と思うことが大切です。
気をつけていれば、未然に防ぐことができたこともあります。
たとえば、駐車場にとめていた車を、別の車にぶつけられたとします。
普通に考えれば「自分はまったく悪くない。相手が100パーセント悪い」と考えてしまいがちです。
そこで、1パーセントでもいいですから「自分も悪いのではないか」と考えてみるのです。
ぶつけられやすい場所に駐車していたせいかもしれません。
自分の駐車の仕方が悪かったせいかもしれません。
そもそも駐車する必要すら、なかったかもしれません。
1パーセントでも「自分にも過ちがあるのではないか」と考える余裕を、持てるかどうかです。
それが考えられれば、次から駐車の仕方は変わります。
これからの人生が、いい方向へと、変わるのです。